ここに、その妹伊邪那美命いもいざなみのみことを相見あいみまく欲おもおして、黃泉國よもつくにに追おい往いでましき。
ここに殿とのの騰戸さしとより出いで向むかえます時ときに、伊邪那岐命語いざなきのみことかたらいたまわく
「愛うつくしき我あが那邇妹命なにものみこと、吾あと汝なと作つくれる國く、未いまだ作つくり竟おえずあれば、還かえりまさね」と詔のりたまいき。

伊邪那美命答いざなみのみことこたえたまわく「悔くやしき哉かも、速とく來きまさずて、吾あは黃泉戸喫よもつへぐいしつ。
然しかれども愛うつくしき我あが那勢命なせのみこと、入いり來きませること恐かしこければ還かえり欲なんを。黃泉神よもつかみと相論あげつらわむ。我あを視みたまいそ」

かく白もうしてその殿內とのうちに還かえり入いりませる間ほど、いと久ひさしくて待まち難かねたまいき。
かれ、左ひだりの御みみづらに刺させるゆつつま櫛ぐしの男柱一おばしらひとつ取とり闕かきて、一火燭ひとつびともして入いり見みます時ときに、
蛆うじたかれころぎて、頭みかしらには大雷居おおいかづちおり、胸みむねには火雷居ほのいかづちおり、腹みはらには黑雷居くろいかづちおり、陰みほとには拆雷居さくいかづちおり、
左ひだりの手みてには若雷居わかいかづちおり、右みぎりの手みてには土雷居つちいかづちり、左ひだりの足みあしには鳴雷居なるいかづちおり、
右みぎりの足みあしには伏雷居ふしいかづちおり、幷あわせて八やくさの雷神成いかづちがみなり居おりき。

ここに伊邪那岐命いざなきのみこと、見畏みかしこみて逃にげ還かえります時ときに、
その妹伊邪那美命いもいざなみのみこと「吾あれに辱見はじみせたまいつ」と言もうしたまいて、豫母都志許賣よもつしこめを遣つかわして追おわしめき。
伊邪那岐命いざなきのみこと、黑御縵くろみかづらを取とりて投なげ棄うてたまいしかば、すなわち蒲子生えびかづらのみなりき。
これを摭ひりいて食はむ間まに、逃にげ行いでます。なお追おいしかば、
またその右みぎりの御みみづらに刺ささせるゆつつま櫛ぐしを引ひき闕かきて
投なげ棄うてたまいしかば、すなわち、笋生たかむななりき。
是こを拔ぬき食はむ間まに逃にげ出いでましき。

また後のちには、かの八やくさの雷神いかづちがみに、千五百ちいほの黃泉軍よもついくさを副そえて追おわしめき。
かれ佩はきませる十拳劒とつかのつるぎを拔ぬきて、後手しりえでにふきつつ逃にげ來きませるを、
なお追おいて黃泉比良坂之よもつひらさかの坂本さかもとに到いたる時ときに、
その坂本さかもとなる桃子もものみを三箇取みつとりて待まち擊うちたまえば、悉ことごとに逃にげ返かえりき。

ここに伊邪那岐命いざなきのみこと、桃子もものみに告のりたまわく「汝いまし、吾あを助たすけしが如葦原中國ごとあしはらのなかつくにに
あらゆる現うつしき青人草あおひとぐさの苦瀬うきせに落おちて患うれい惚なやむ時ときに助たすく可べし」と告のりたまいて、
意富加牟豆美命おおかむづみのみことという名なを賜たまいき。

最後いやはてにその妹伊邪那美命いもいざなみのみこと、身自みみずから追おい來きましき。
ここに千引石ちびきのいわをその黃泉比良坂よもつひらさかに引ひき塞さえて、その石いわを中なかに置おきて、
各々対おのもおのもむかい立たたして事戸ことどを度わたす時とき、伊邪那美命言いざなみのみこともうしたまわく
「愛うつくしき我あが那勢命なせのみこと、如此かくしたまわば汝みましの國くにの人草ひとぐさ、一日ひとひに千頭絞ちかしらくびり殺ころさむ」ともうしたまいき。
ここに伊邪那岐命詔いざなきのみことのりたまわく
「愛うつくしき我あが那邇妹命なにものみこと、汝然みまししかしたまわば、吾あれは一日ひとひに千五百ちいほの產屋立うぶやたてむ」とのりたまいき。

ここを似もちて一日ひとひに必かならず千人死ちたりしに、一日ひとひに必かならず千五百人生ちいほたりうまるるなり。
かれ、伊邪那美神命いざなみのみことを黃泉津大神よもつおおかみと言もうす。亦またその追おいしきしによりて道敷大神ちしきのおおかみとも号なずくと云いえり。
またその黃泉坂よみさかに塞さやれりし石いわは道反大神ちがえしのおおかみとも号なずけ、また塞坐黃泉戸大神さやりますよみどのおおかみとも言もうす。
かれ、そのいわゆる黃泉比良坂よもつひらさかは今、出雲國いずものくにの伊賦夜坂いうやさかとなも言いう。

伊邪那岐命いざなきのみことは亡くなってしまった伊邪那美命いざなみのみことに会いたいと思い、
後を追って黄泉国よみのくにに降りて行きました。

そこで、伊邪那美命いざなみのみことが御殿ごてんの扉を開け出迎えられると、伊邪那岐命いざなきのみことは、
「愛しい我あが妻よ、私とあなたとで作った国は、
まだ作り終えていません。一緒に帰ろう」と仰せになりました。

伊邪那美命いざなみのみことは「残念なことです。もう少し早く迎えに来てくだされば良かったのですが、
私はすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。
でも、あなた様がいらして下さったのですから、なんとか帰りたいと思います。
黄泉の神々と相談してまいりますので、その間は私の姿を見ないでください」と仰せになりました。

そうして伊邪那美命いざなみのみことは御殿ごてんの中に戻って行かれましたが、なかなかお戻りになりません。

そこで伊邪那岐命いざなきのみことは待ちきれなくなってしまったので、
左の御角髪みみずらに挿していた神聖な櫛くしの太い歯を一本折って、
それに一つ火を灯し入って見てみると、伊邪那美命いざなみのみことの体には蛆うじがたかってゴロゴロと鳴り、
頭には大雷おおいかづち、胸には火雷ほのいかづち、腹には黒雷くろいかづち、陰部には析雷さくいかづち、左手には若雷わかいかづち、
右手には土雷つちいかづ、左足には鳴雷なるいかづち、右足には伏雷ふしいかづちが居り、
合わせて八種やくさの雷神いかづちがみが成なり出でていました。

伊邪那岐命いざなきのみことはこれを見て畏おそれ、逃げ帰ろうとすると、
伊邪那美命いざなみのみことは「私に恥をかかせたな！」と言うと、黄泉の国の
予母都志許売よもつしこめという恐ろしい醜女しこめに後を追わせました。

伊邪那岐命いざなきのみことは、髪に付けていた黒い髪飾りのつる草を取って投げ捨てると、
そこからすぐに葡萄ぶどうの実が生なりました。
これを醜女しこめが拾って食べている間に、伊邪那岐命いざなきのみことは逃げます。

しかし、またすぐに追いかけてきたので、
今度は右のみづらに刺してあるゆつつま櫛ぐしの歯を折り取って投げ捨てると、
そこからすぐに筍たけのこが生えました。
これを醜女しこめが抜いて食べている間に、伊邪那岐命いざなきのみことは逃げました。

次に伊邪那美命いざなみのみことは、八種やくさの雷神いかづちがみに千五百ちいほの黄泉の国の軍を付けて追わせました。
伊邪那岐命いざなきのみことは身につけていた十拳剣とつかのつるぎを抜いて、後手に振り払いながら逃げ、
黄泉比良坂よもつひらさかに至りました。

伊邪那岐命いざなきのみことは、黄泉比良坂よもつひらさかのふもとに桃の木を見付け、
桃の実を三つ取って投げつけると、追手はことごとく逃げ帰りました。

伊邪那岐命いざなきのみことはその桃の木に、
「私を助けたように、葦原中国あしはらなかつくにの人々が
苦しい目にあって悩んでいる時にも、同じように助けなさい」と仰せになり、
意富加牟豆実命おおかむずみのみことと名付けました。

最後に伊邪那美命いざなみのみこと自らが追いかけてきたので、大きな千引ちびきの石いわで黄泉比良坂よもつひらさかを塞ぎました。
そしてその石を挟んで向き合い、伊邪那岐命いざなきのみことが夫婦離別を言い渡すと、
伊邪那美命いざなみのみことは「愛しい夫がそのようにするのであれば、
あなたの国の人々を、一日に千人絞め殺しましょう」と言われました。

すると伊邪那岐命いざなきのみことは「愛しい妻がそのようなことをするのならば、
私は一日に千五百の産屋を建てよう」とおっしゃいました。

こうして、この世では、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれることになりました。

黄泉国に残った伊邪那美命いざなみのみことは黄泉津大神よもつおおかみと呼ばれるようになり、
また、その追いついたことをもって、道敷大神ちしきおおかみとも名付けられました。

そして黄泉の坂を塞いでいる大石を、道反之大神ちがえしのおおかみ、または塞坐黄泉戸大神さやりますよみどのおおかみともいいます。
黄泉比良坂よもつひらさかは、今の出雲国いずものくに（島根県）の伊賦夜坂いふやさかといいます。